盆踊りの思い

おひさしブリュッケ!
ということでひと月以上放置してしまいました。
なかなか何かを書くというのは難しいものですが、盆踊りが迫って来ているので書きます。

盆踊りとは盆の時期に死者を供養するための行事、というのがwikipediaのはじめの処に出ます。
言うまでもなくそういう認識は学生くらいになれば持つのでしょう。
ただ、供養の行事ということになっていても、実際踊っている人々や、ましてや踊らず見物するだけの人々の中にそういった気持ちで参加している人の割合は少ないんじゃないだろうか。(土地にもよるかと思いますが。)
その点、以前NHKで浅田政志氏が阿波踊りを撮るというのを見ましたが、徳島県のそれは文化としての力強さを感じました。いつか現地に阿波踊りを見に行きたい。早ければ来年。

そうは言っても、東京の盆踊りがいけないという事ではありません。
先日ツイートした一花屋(いちげや)という鎌倉の長谷にあるカフェに震災の年に足を運んだときのこと、たまたま近くの神社でやっている盆踊りを見て感銘を受け、毎年どこかしら行くようになった程度です。
感銘と言っても、浴衣に身を包んだ小学生のグループがいくつかあり、恐らくクラスのマドンナだろう子にやんちゃな男子がちょっかいを出したりというのを見てノスタルジーおセンチおじさんが「嗚呼」と漏らす程度のものです。
そんな光景を目にしたいという下心で盆踊りに熱心になったわけですが、あの感じはそれ以来なく、入間の方の小さいのを見ても、ちょっと人の構成が違ったりで何か違った。町の人の繋がりとか、その面倒臭そうなところとか、そうゆうのが色々見えてそれはそれで楽しいものでした。全然外部向けでないようで、ビールとか酒の類いは販売してないというのも驚きでした。子供向けの出店しかない。
小台もそうだろうか。覚えていない。町単位の小さいのは意外とそうなのかもしれない。
結局、「ビール売ってないんですか?」と聞いて町会の人たちの中にひとり座ってビールを頂くという反って恐縮する場面を作ってしまった。
なんとなく、海が近くにある土地の盆踊りがいいんじゃないかとか思ってみたり。
踊らずに小学生のそんな風景を眺めているというのもたまにはいいかもしれない。
女子はおばあちゃんに連れられて踊っているという設定がいいですけど。

踊っていて供養の気持ちも特にはないけども、マスゲームの輪の中で簡単な踊りを数時間踊り続けることで無というか、感覚としては阿弥陀仏と一体となるような錯覚があり気持ちのいいものです。ミニマルな音楽かけてチルアウトみたいな感じです。
宗教観などはなく純粋に楽しめればいいという認識はどこかで反感を買うかもしれませんが、実際、江戸の時分にも踊るのが楽しいという理由でずっと盆踊りだったりしたわけだから、そんな感じでいいと思います。
簡単だからすぐ覚えられるし、外国人も多く参加しています。
築地本願寺とか日比谷公園のに行けばだいぶ楽しめると思います。

このあたりだと、荒川遊園地前の広場でやる盆踊りが素晴らしいです。
去年行った盆踊りの中でもいちばん良かったんじゃないかと思います。
とりあえず来週は月島の盆踊りがあるのでそちらに。東京で唯一伝承を許された古い念仏踊りということなので、供養の気持ちは必要かもしれません。
興味のある方はこちらを確認のこと。

ということで、小台の盆踊りを婦人部の方だけに踊らせてるわけには行かないので、時間をかけて変えて行きたい所存です。