考えとことば
先日、気になったことがどうとか書きましたが、そんなことを気にしていたらいつか終息してしまうと思ったので今後は適当になろうと思います。
多分、いままでも十分にテキトーだったのですが、こないだはそう思ったんだと思います。
それで、今回は少し考えとことばについて思ったことを書いてみます。
もしも熱心な読者の方がいらっしゃればお気づきかと思いますが、最近は言葉遣いを少し考えてみることにしました。
今までは、誰かに読まれることを期待して丁寧な言葉遣いになるのはなんか嫌だな。という風に思って意識的に「です、ます」というようなものを除去していました。
今後も、特に読まれることを多分ちょっとは期待するんですけど、そういったことではなくて、言葉遣いは大事だなということを思わされる出来事があったのです。わかりませんが、多分あったんだと思います。
そんななか、先日Twitterで誰かが考えた言語の特性みたいのを見かけました。
イタリア語は歌を歌う言葉
フランス語は愛を語る言葉
ドイツ語は詩を書く言葉
スペイン語祈りを捧げる言葉
日本語は人を敬う言葉
個人的にはフランス語は不平や不満を言う言葉と思っていますが、日本語は敬う言葉らしいです。
私は、タモリさんに憧れています。なので、大学に入る前から中退することを考えていました。
実際に中退しましたが、復学して卒業してしまったので私は大物には到底なれません。
タモリさんは本気で馬鹿ができます。かっこつけて軽く馬鹿をやるのとは違います。
ここから言葉遣いの話に繋げたかったのですが、なんだか全然関係がなさそうなので止めます。
エクリチュールが思考を支配する
そんな言葉を大学を辞めたころに見かけたような気がします。
エクリチュールと言ってるのでフランスの誰かが言ったのでしょうか。
わざわざ覚えているくらいだから、そんなような事を考えてる時に出会った一節なんだと思います。
「僕」から書き始めるのと「俺」から書き始めるのでは状況が変わってしまいます。
例えば、混雑したところで人と方がぶつかった状況は
「僕は人波に揉まれて人にぶつかってしまった。」
「向こうから俺に当たってきやがった。」
のように羅生門のようなことが起きてしまいます。
一人称が違うと、おそらく他の人称も影響を受けてしまいます。日本語ってすごいですね。
言葉遣いを変えるだけでどんどん違う文章が出てきます。
漫画が書けるのもうなずけます。更に言えば、それ故に日本の漫画はすごいのかもしれません。
何を言いたいか分からなくなりましたが、平穏な気持ちでいたいので、それを実現できそうな言葉を選ぶようにしようという試みです。
読まれた皆さんも是非お試しください。
2014年10月25日