やりたいこと

先日、某所で悟り世代だとかゆとり世代だという話がありました。
世代はどれでもいいんですけど、やりたいことって何なのかってのを考えてみました。

やりたいことはなんだろう、とお遍路をしたり、海外行ったりする人がたくさんいると思います。
自分の場合は行ってみたいから海外行ったし、お遍路もしてみたいからちょっとしてみたというだけで、やりたいことを探しに行ったわけではないとうのを一応言っておきます。

自分はコーヒー屋をやりたくてコーヒー屋を始めたわけですが、何を職業にするかというのは別にやりたいことではないから「こんなはずじゃなかった」とか思う人が後を絶たないわけだと。
「そんな〜」は特に思ってなくて、現状は思ってたのとは少し違うけどほぼ分かってたもので、この先どうやって人を集めたらいいかというところを考えてる。人っていうのは、お客さんに限ったことではなくて、単純に人。
人が会うような場所としてのコーヒー屋で、その中の人がなんか思いついてコミットして町がちょっとよくなったらいいという趣旨。
だから基本的には企画を地元の人とかに持ち込んでみて欲しいとは思ってます。
が、何かを企画してみるというのは一般的に結構敷居が高いのか、面倒なのか何なのか正直全然わからないけど、開いているつもりなのでもしあればとりあえず持ち込んでみて欲しいです。断るかもしれないけど。
貸切はしないです。例外はあるかもしれないけど、知らない人に突然貸切と言われても無理です。
今後少し考えたいとは思うけど、内輪の人が大勢集まってどうこうって空間がちょっと気持ち悪くて無理です。今のところ。
結果的にそうなるということもあるかもしれないけど、前提がそれだと。

そんな店に関することはどうでもよくて、やりたいことって「あーこれやり残したなー」ということだと思ったことがこないだあって、それでなんとなくやりたいことについて書いてみてます。世代は何にも関係ないです。
何かの活動、音楽でも絵でも企業でもしている人たちは恐らく明確にやりたいことっていうのがあって、凄いと思う。
でも本当はやるしかなくなったという人も中には。きっと。
ただ、やってるなかでもこうゆうのやりたいとか、フラフラはしてるはずだと思いたい。
今日何食べたいとかそうゆうのも全部だから。
それで全部やりたいことをやってやり残したことがなくなったら漸く死ねるんだなぁと。
だから人は死ぬために生きるのかなぁと少し思った。
でも、物も情報も溢れているとやりたいことがどんどんなくならなくてなかなか死ねないですね。

やりたいことやるにはあまりに時間が邪魔すぎます。
そこで、時間と仲良くなるにはどうするかを考えたいです。坂口恭平さんがやっていたことを見習いたいけど、本が返ってこないからどうゆうことだったか思い出せない。

違う感じで結ぼうと思ってたのに、それがどんな感じだったかも思い出せない。
やりたいことは泡のように消えてしまうな。ほんとはやりたいことなんて何もないのか。

ちなみに、次にやりたいことは「桜餅の会」です。
みんなで桜餅を持ち寄って、あーだこーだ言うわけでもなくどれも美味しいねって食べる会です。
桜の時期に店でやるのも微妙だから全然関係ないとこで。たぶん阿佐ヶ谷近くの善福寺川緑地で。
店で告知する内容か?と思うけど、店で知り合った人たちと、まだ知り合ってない人も参加あればそれで集まってみたいです。

あと、店は桜餅に限り持ち込み可としています。
おすそ分けは随時受け付けております。

2015年3月28日