さよならぴーぽーさん

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内臓が下がっていて喉が塞がる感じになり、声がうまくでてきてくれない。歌う前や本番MC中に、マヒトゥさんは何度かそう言っていた。
「病」とまでいかないにしろ、鬱の症状というか、ひとが大きな口ごもりに飲み込まれて、目の前が真っ暗になっているときの、そういう感じ、なんだろうか。

全感覚をひらいて、ほんとの優しいひとになって、
ちゃんと飛んで歌って初めて、
その演奏に、ライブに、その時間に、ほんとの重みがやどる。
と、教わった。

それはドキュメントを音楽で超えること、
私は、超える為にはまず、嘘のないドキュメントからやりなおさなくてはならなかった。

ヒト、自分と同じ中途半端で宙ぶらりんなニンゲンに、
昨日へと進むこの道の途中で出会えたなら、
ヒトは季節の記憶なんだろう。

たとえ天気の話しかしない間柄であっても、その相手でしかありえない、時の移ろいのドキュメント。
存在と存在の関係。

全感覚をひらきつづけ、溢れつづけることと、
多様な他者たちとわけへだてなく関係をもち、
その関係性を満たしつづけようとすること、
この両方をバサラバサラとやり抜きつづけて生きてゆく、
そんな佇まいをマヒトゥさんは持っていて

きっとそれは物凄く大きな宇宙を喉のなかに内包することで、
だからつよくひきさかれて、内臓が下がった感じになるのかもしれない。

そんな佇まいは、荒川の土手に咲く花のように無防備に微笑んでいて、
その声は、忘れかけている季節の記憶を目覚めさせようと、季節のたくさんのなまえたちを呼びつづける。

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マヒトゥさんの歌にうたれて、二番目に歌った私はぶちあがりました。でも優しいお客様にアンコールを二回目貰ったときぶちあがれなくて、フィニッシュできない症状でした。

感覚では、ライブの日までにワカッタのだけれど
それを音として表現するちからを、ライブの日までにつけられなかった、
という状態だと思います。

お客様やマヒトゥさんには、自分が生きるのを支えて貰ってると感じました。
あの日あの時間だけ会ったお客様であっても。
だから皆さんほんとにありがとうございました。

BRÜCKEはまだ新しいお店で、杉浦さんやスタッフさんもみな清々しくて温かな方たちで、みんなで守っているやわらかな小さな灯のような場所でみんなただひたむきで
たくさんサービスしてくれた。

切り貼りのがらくたおもちゃしか奏でられず、死ぬ気で音楽すらできない自分はかすだとおもう。だけど、いまは、とりあえず生きることを諦めない、と、つよく思えたところで、シメさせていただけて、
腑に落とし、納得し、頑張ろうと思うことができました。
みなさまありがとうございました!

文:三村京子