解剖 ロバート秋山
まだ方向性を模索中ではありますが、だんだん恒例となってきている「語るシリーズ」の第三弾。今回はブリュッケでも何度か演奏いただいている大野円雅さんによる語りです。
そもそものきっかけは大野さんのTwitterを見ていて、ロバート秋山の動画をツイートしたりというのを見て、個人的にも小学生版画クラブのネタとかいろいろと好きだったりしたので、これはやっていただくしかないと思ってお願いしたものです。
大野さんの秋山分析は、正直そこまで細かい事を感じてお笑いを見ているのか、とも思わされました。否、大野さんが言っている事は聞けば頷けるものなので自分も認識まではしてるけどもその事象に対してそこまで言語化する事はせず笑っていたということに気づかされる。
私は例えばトゥットゥットゥットゥ部における秋山氏の言葉選びなどにベンジーの影響というか、オマージュのようなものがあるのではないかと考えたりしてしまう、というのはちょっと嘘でベンジーを感じてしまうからそこに可笑しさを見出してしまったりする。秋山氏がそれを意識しているかは定かでないし、全く関係のないことであれば、やはり何かを発した時点でその表現は外界のいろいろなノイズを勝手に纏って受け手に届いてしまうのだなと、改めて思うに至りました。
よくわからないまとめとなりましたが、聴講された方はお楽しみいただけたようでした。
今回は店の奥側で催され、手前側は通常営業という形態を採らせていただいたので普通に店を利用されたお客さんが偶然何かに出会うという環境となりました。
このシリーズではなぜその対象が好きになったのかという問いに対して、いつもこう「弱っていた時にハマった」というのがキーワードとなるわけですが、どこかに弱った女性はいないものかと思ったりもします。
次回はサウナについての語るです。宜しくお願いします。
2016年4月25日