「おもかげたゆた」展示一日目を終えて
一日目。展示自体まだあまり経験していないが、映像を流すという初めてのスタイル。
作品の制作の間に大寶さんがよく聴いていたというファミコンのMOTHERをBGMとして流していて、これはBGMを切り変える為に遊んで貰えるスタイル。
たまたま初めてきたり、たまたま再びきたりの方が図らずも作品を見るというような日になり楽しかった。
今回の展示をして頂くことになったきっかけは、夏に藝祭でアニメーション科、修了作品上映を見たことがきっかけになっている。
もともとは形式は未定だが何らかの形で上映会をできないだろうかという話だった。
プログラムの中で印象が強かったのは最後からふたつ目の清家美佳さんの「ふりだし」と最後の本作、大寶ひとみさんの「おもかげたゆた」だった。
「ふりだし」に関しては、色や曲線、構成から勝手にエストニアとかそっちの方(といってもプリート・パルンくらいしか知らないし結構違う)のアニメーションのような印象を受けた。なんだかクスクス笑ってしまうような。プログラムの終わりも近づいたところで笑える作品に会い、ほっとしていたところで「おもかげたゆた」を見た。
思わず泣きそうになってしまい、そそくさと教室を後にした。最近は涙腺が少々ゆるくなってきているようで映画を観て涙が流れることがある。
それもまた図らずして見たものだった。
店を開ける前にちょっとだけというつもりで寄った藝祭、滞在予定時間の半分以上をそこで削られることにはなったが、果たしてこういった作品はどこかで見ることができるのだろうか、ということだった。それは単純に今回見たプログラムに入っていなかったような作品も見てみたいという考えだった。
帰ってググってみるとあるにはあるけど結構年間でめがけていかないと見ることができない感じだった。
もろもろの事情は何も理解していないながら疑問に思い、感想を伝えたかったのもあったから大寶さんに上映が出来ないかというかということでメールをしたところから始まった。こんな規模の店が言うのもおこがましいが、こういった作品がもっと人の目に触れる機会があっていいんじゃないかという思いだった。
ちょうど神楽岡久美さんの展示「光を摘む -光の記録-」のオープニングの日に店にいらして頂き、初めてお会いして話が出来た。
長くなったけど、こうして今回の日取りで展示、トークの企画に至った。
今回の展示に際してひとつ絵を描いてくださった。
黒い額に入れられた華やかなその絵はとてもいい絵だ。
感想を述べるのが苦手で、書いても何も伝わらないだろう。はじめに大寶さんに送ったメールも酷いものだと思う。
それぞれが感じるものだから、多くの人にその目で「おもかげたゆた」を見てもらえたら嬉しい。
展示では他に作中使われている原画がたくさんと、読み切るのには少々時間を要する制作資料をお持ちいただいた。
資料では日記のように綴られる制作プロセスや作品の解説を見ることができる。
それを読むことは藝大の教室で自分が見て感じたことを確かめるような作業でもあった。制作のきっかけ以外の点は受けた印象の通りだった。
ただ、それは単純に自分が好きになった作品だからいくつもの点が解決されるように感じるのかもしれない。
開店直後に目を通そうとしたが、途中で感情的に無理だと判断して、今しがた読み終えた。
実際に、今日見て頂いた方のリアクションというのも人それぞれで、
「動きが面白かった」、「どこが泣き所なのかわからない」、「最後が気持ち悪い」
といった意見もあった。
もちろん、どの感想も正しい。
自分と同様、込み上げていた方、号泣する方もいた。
そうゆう方は進んで制作資料を手に取っているからそこの二分化も面白いが、
動かされる⇨知りたくなる
といういたって単純なプロセスかもしれない。
こんなことを言っていると本作品がお涙頂戴なものに誤解を受けるかもしれないから断っておくと、実にポジティブな指向の作品と思って欲しい。
まだ一日しか終わっていないけお、作品が正しく(個人的な意味において)ストリートに現れているように感じる。
会期中には、23日にメインのアニメーション夜咄というトークイベントを大寶ひとみさんはじめ、上述の清家美佳さん、山中澪さんの三名とファシリテータとしてその思考プロセスにいつも感心してしまう森山氏を招いてみなさんの作品を上映しつつ、制作のことなどお話を伺えたらと思います。
翌日には本展示の中でひっそり橋という企画で滝沢朋恵さんに歌って頂きます。こちらも是非遊びに来て頂けたらと思います。
一応展示とくっついている企画はそのあたりだけど、よかったら18日のしゃべっチャイナ!や語るも気にしてください。
2016年12月10日