杉浦という名前

おなら代理人はまた今度です。
家紋が気になりました。
前々から気になっていて何も調べていなかったのですが、志の輔さんの「忠臣ぐらっ」を聴いたのがきっかけです。

忠臣蔵はかっこいい話だから落語の演目にはないということらしい。
恥ずかしながら史実には弱く忠臣蔵も今まで見た事がなかったけども、落語で大筋を知る事ができました。
赤穂四十七士の中に酒屋に扮した岡野金右衛門という侍がいまして、その金右衛門の辞世の句に落ちをつけるという話なんですが、その辞世の句はさすがに嘘だよなと思って岡野金右衛門を調べてみたら、なんと家紋が釘貫だったのです。

先日、店の中であった話で、「うちは遡ると浅野内匠頭なんですよ。」という方がおりまして、お客さん同士で忠臣蔵とか家紋の話をしていた時がありました。
まったく入り込めない話題だったけど自分のルーツを知っているというのはなんだか羨ましいなぁという気がしながら聞いていました。
それで今回の金右衛門です。歴史は知らないけど自分ちの家紋くらいは知っていたので、これはちょうどいいと思い少し調べてみようと思った次第でございます。

事あるごとに杉浦と今まで何度も書いたり入力してきたけども、この杉浦は一体どこから来ているのか。

杉浦姓を調べてみると、杉浦は静岡、愛知に多く分布しているようです。
ニコニコ大百科によると全国の杉浦の半分は愛知らしいので、殆どが静岡、愛知にいるということになります。
分布を見てもそんな感じでしたが、意外と東京神奈川に多くいるのだなと思いました。
しかしながら、googleではそのルーツまで遡る事はできませんでした。
googleを使いこなせていないのか、そのあたりの情報を持っているところがネット上に情報を公開していないのか。
名字由来netというところではよくわからない解説しかでてこない。
桓武天皇の子孫で平姓の氏、清和天皇の子孫で源姓の氏、中臣鎌足のいずれかがルーツなのでしょうか。
清和天皇は全然学校で習ってるかもしれませんが記憶はありません。

ちなみに釘貫の家紋ですが、「九城を抜く」にかけて武家で好まれたらしいです。
うちの丸に釘貫は一柳氏のようで、美濃国厚見郡西野村(岐阜県岐阜市)のあたりのようです。
清和源氏でも釘貫みたいだったので、ここかと思いますが、両方の情報の交わる点が見つかりません。
杉浦が江戸時代に岐阜から愛知に流れたのでしょうか。分布図では確かに岐阜にもある程度分布しています。
そんなこんなでルーツ探しはここで途絶えてしまいました。
名字によってはすぐルーツがわかるものもあるのに出て来ないのはちょっと納得いきませんね。

いずれルーツが分かるといいなと思ったり思わなかったり。
時間を使った割に全然分からなくて残念でした。
無駄にしない為にもいつか解決したいところです。家に家系図でも転がってればいいんですけどね。

関係ないですが、この記事を書いている時に
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と出て来たのですが、WordPressはlocal storageにバックアップするようになったんですね。
オートセーブでリビジョン管理してるのに更にローカルストレージにバックアップって。